仙台高等裁判所 昭和46年(う)321号 判決 1971年12月23日
被告人 市宮浅吉
主文
原判決を破棄する。
本件を青森簡易裁判所に差し戻す。
理由
本件控訴の趣意は青森区検察庁検察官事務取扱検事簗瀬照久作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これをここに引用して次のとおり判断する。
論旨は原判決の量刑不当を主張するにあり、所論の論旨は本件交通事故における被告人の過失の程度態様および惹起した結果が重大であるうえに犯後の情状まことに良ろしからず原判決が処するに罰金刑の執行猶予を以て臨んだのはその量刑著しく軽きに失して到底破棄を免がれないというのである。
しかしながら、職権をもつて原判決を検討するに、原判決は「被告人は普通貨物自動車を時速約三〇粁で運転進行中その進路左前方約一八米の地点を同一方向に向い荷かごを背負つて歩行していた被害者たる老婆の姿を認めたが折柄二台続いて対進して来た普通乗用車および普通貨物自動車があつて同女の右側方を通行することが困難な状況にあつたので、直ちに停止もしくは徐行の措置を講じて事故発生を未然に防止する注意義務があるのに、これを怠りまだ距離があるので直ちに右措置を講ずる必要がないと軽信して約一一米に接近し初めて急停止措置をした過失により、自車左前部を同女の荷かごに接触転倒させて傷害を負わせた」旨認定判示しているのであるが、その判文にのみ即してみれば、たとえ歩行者たる老婆の右側もしくはその辺りで対進車と擦れ違うタイミングとなり道路幅員および車幅などの関係で安全に通り抜けることが困難な状況であつたからといつて、その故に直ちに原判決のいうように同女の約一八米も手前で停止措置を講じたり直ちに停止できる程にまで減速措置を講じたりすべき注意義務が課せられるものとは解し難いばかりでなく時速約三〇粁で走行中に急停止操作をとれば特段の事由のない限り約一一米も前方の歩行者に接触することなくその手前で停止できた筈とも思われるのであつて、そもそも原判決認定の罪となるべき事実自体に基本的に首肯し難いものがあり、要するに理由不備ないし理由のくいちがいがあるものといわざるをえないのである。而して、これを本件記録にあらわれた証拠に照らして点検すると、果して本件事故現場附近の路面がアスフアルト舗装のうえに約三糎の積雪があり凍結して滑り易くスノータイヤを着装した被告車の制動効果も著しく減殺された状況であつたこと、被告人は左様な最悪の道路状況であることを認識しながら時速約三〇粁で進行していたものであつたことが明らかで、然りとすればそのような事柄は訴因構成の重要な前提事実としておよそ看過すべからざる点であるのに、公訴事実自体がなんらこれに触れるところなく、原判決またそのひそみにならつて罪となるべき事実の認定につき右路面の状況を漫然度外視したことが、まさに右に指摘した理由不備ないし理由のくいちがいを招いたのではないかと思われるのである。
なお付言するに、原審で取り調べられた司法警察員作成の実況見分調書によると本件事故現場附近の道路幅員は約七米で歩車道の区別がないことを窺わしめるのみで道路両側に除雪の堆積があつたことを推測させる程の資料すら記録中さらに存しないのに、当審における事実取調の結果(相馬さきの検察官に対する供述調書)によると路面中央部分の積雪がブルドーザーによつて除雪されそれが道路の両側に通行を妨げるような態様で残されていたため歩行者および車両の通行しうる有効幅員が狭められていたと窺われる節があるとともに、道路両側にそれぞれ幅四尺ばかり高さ約三五糎ほどの雪の堆積があつてしかもなお三間半ないし四間もの有効幅員が残されていたというが如くでもあつて(道路幅が約七米である以上右の如き有効幅員が残されていたとは考えられない)、正確なところどれほどの有効幅員があつたのか必ずしも断定し難いところがあり、対進して来たという自動車二台が果して有効幅員のどの辺りに進路をとつて来たのかによつても、被告人に課せられるべき注意義務の内容に変動を及ぼす可能性がないわけではなく、さらにまた、一方において前記実況見分調書によると被告車は道路左端との間に約三米もの間隔をとつて進行していたのが対進車を意識しての故か約五〇糎ばかり進路を左に寄せたのち被害者に接触した時点では道路左端との間に約一・八米の間隔をおくのみであつたと窺われるのに対し、他方において、当審に及んで提出されて取調べられた被害者相馬さきの検察官に対する供述調書によると被害者相馬さきが対進して来た自動車二台と引き続き擦れ違つて了つたうえ老婆の足どりでさらに一〇歩ばかりも歩行を続けてから被告車が同女の背後の荷かごに接触したというタイミングであつたもののようで、若しそれが真相とすれば被告車としては停止はもとより徐行ないし減速することもなく同女の右側に充分の間隔をとつた進路をとつて進行を続けてもよかつたのではないかとも思われるのであつて、畢竟諸般の具体的状況を確定したうえでその前提に立却して初めて本件の場合における注意義務と過失とが論議しうることになると思料されるのである。
加うるに、蛇足ではあるが、検察官は被害者相馬さきが道路左側を歩行していた点につき原審論告の際にはそれが唯一であるにせよ被害者側の過失であつた旨陳述していたのに、当審に及んで忽然として同女の左側通行がやむをえない事情に起因した旨主張立証を試み昭和四六年法律第九八号道路交通法の一部を改正する法律によつて附加された第一〇条第一項但書の趣旨を援用するのであるが、被告人の強く争うところであることが窺われ、また、検察官は原審において自ら証拠調を請求し取調を了えたところの被害者およびその家族一同の作成名義にかかる歎願書につき当審に及んでそれが被告人の偽造にかかるものであるかの如く主張し、さらにまた被害者に支払われた自賠責保険金の一部を被告人において借り倒したもののように主張するのであるが、これまた被告人の強く争うところと窺われるのであつて、これらの情状点についても更に審理を尽す必要が出てくるのではないかと思われる。
以上の次第であるから、本件の場合当審において単に訴因変更の手続を踏むことによつて自判できる場合とは認め難いので、検察官の控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九二条第二項、第三九七条、第三七八条第四号により原判決を破棄し、前叙の諸点につき審理を尽させるため同法第四〇〇条本文により本件を青森簡易裁判所に差し戻すこととして、主文のとおり判決する。